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Re: World Music Band the PURE

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 6月12日(木)11時54分51秒
返信・引用
  > No.286[元記事へ]

ぺぇさんへのお返事です。

> 本田さんが20世紀の末に復帰して、考えた事はジャムバンドみたいなワールドミュージックのファンクなバンドをしたい!と言う事でした。

そういえば、その頃かな?本田さんは『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』にも触発されてましたねえ~
それにしてもPUREの正式音源がないのが悔やまれます(誰かCDにしてくれませんかね!)

>YOKOさん
そーですね、いつか本田会(以前はちょくちょくやってました)をやりたいですね、こちらに(東京)おいでの際は是非声をかけてくださいませ。

http://www.jazz-honda.com

 
 

World Music Band the PURE

 投稿者:ぺぇ  投稿日:2014年 6月11日(水)10時00分47秒
返信・引用
  本田さんが20世紀の末に復帰して、考えた事はジャムバンドみたいなワールドミュージックのファンクなバンドをしたい!と言う事でした。
当時、ワールドミュージックのミュージシャンを招聘して、コンサートを開くという音楽制作会社に勤めていた長女に本田さんは色々と相談してました。
そして、彼女が自分の周りにいた若手のミュージシャンを集めて作りました。
残念ながらパーカッションの小澤敏也は去年亡くなってしまいましたが、
他のメンバーは今や、ジャズ界の中堅になって頑張っています。
 

ぺぇさんへ

 投稿者:yoko  投稿日:2014年 6月11日(水)00時40分57秒
返信・引用
  ぶしつけな質問にご丁寧に答えてくださり、ありがとうございました!
ますますいろんなことをお聞きしたくなりました。
いつか本田ファンが集って飲み会なんかできるといいですね。

 >山下洋輔全盛の国立音大のジャズの本を書いているところです…
それは楽しみ!

ぺぇさんの文中に「本田さんの為に組んだWorld Music Band the PURE」という表現がありましたが、PUREって本田さんの周りにいた人たちがリハビリのために組んであげたバンド、ということですか? 僕は本田さんが自分で結成したバンドだと思っていました。


 

yokoさんへのお返事

 投稿者:ぺぇ  投稿日:2014年 6月10日(火)09時45分0秒
返信・引用
  私は、色々と誤解もされますが、本田さんとは国立の1年後輩でした。
在学中は、あちらは天才、こちらはその他大勢なので、大して目にもかけてもらっていません。
その頃の、山下洋輔全盛の国立音大のジャズの本を書いているところですので、少々お待ちください。
私の生まれは八戸で、本田さんは実は久慈でした。この町は青森と岩手ですが隣町のように近いのです。
それに、生きてれば120歳位の祖母たちが同じ仙台の女学校、もしかしたら同級生かも?
母親同士も同じころ仙台で音楽をしていました。
そんな事が、本田さんが1997年に倒れた以後に分かり「俺とお前は親戚の様だ」と言って妹のようにしてくれました。
闘病中も、音大の仲間達とサポートしていて、復帰のコンサートや国立音大ジャズミュージシャンズクラブの立ち上げ等の手足になり,長女が本田さんの為に組んだWorld Music Band the PUREのマネージャーをすることになったのです。
「ふるさと」「紀尾井リサイタル」も仲間の仕事で、ライブハウスのブッキング以外の公の事はアシスタントをしていました。
本田さんは、宮古にはSのマスターやビデオ澤口さん、紀尾井リサイタルの立役者の尾崎さん、HPの管理人さん、自分の事を語り継ぐ人達を布石して旅経って行ったのですよ!
長々とすみません。
お分かりいただけたでしょうか?
本ができたら、又、ここで宣伝させていただきますね!
 

ぺぇさんへの質問

 投稿者:yoko  投稿日:2014年 6月10日(火)01時39分23秒
返信・引用
  掲示板をお借りしましてぺぇさんへの質問です。ぺぇさんの本田氏への思いは並々ならぬものがある、と前々から感じており、どのような方なのかなあとずっと気になっておりました。差支えなければ本田氏とどのような間柄だったのか、マネージャーになられた経緯などを教えて頂けないでしょうか。できればぺぇさんや管理人さんとお酒を酌み交わしながらお話したいところですが、なかなか上京できないのでこの場をお借りして質問させて頂きました。よろしくお願いします。  

Re: yokoさんへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月29日(木)16時51分51秒
返信・引用
  > No.280[元記事へ]

ぺぇさんへのお返事です。

ぺぇ様
毎度インサイダー情報ありがとうございますw

やはり現場にいた人の話はいいですねえ~
これからもよろしくお願いいたします。


http://www.jazz-honda.com

 

Re: 管理人さん、ぺぇさんへ

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月29日(木)16時49分5秒
返信・引用
  > No.279[元記事へ]

yokoさんへのお返事です。

yoko様
確かに本田さんの「オレはそんなのやらねえ」事件?は各地で勃発してましたねえw

本田さんの音楽を語ろうとすると、どうしても病気前と後に分かれます。
どちらも本田ミュージックにかわりありませんが、なにかが違ってきたことは否めません。
そのことを手前みそですが【中央線JAZZ決定版101】において【人のために弾く】という表現で書かせてもらいました。
前が、己の中にある『なにか』を吐き出す音楽とするならば、
後は、その『なにか』の中にあった、ある種の傲慢さとかを取り除いた音楽(ちょっと無理やりですが・・・)
といえるかもしれませんね。
どちらにせよ、両方とも必聴なのは周知の事実であります。

ちなみに私の現在のマイブームはNOW ON THE BLUESのNO MORE BLUES
う~ん、イカス(死語)

http://www.jazz-honda.com

 

yokoさんへ

 投稿者:ぺぇ  投稿日:2014年 5月29日(木)15時35分56秒
返信・引用
  Mack the Knaifeは、国立音大で本田の先輩達の「まいとしノコリンズ」というビッグバンドのテーマソングだったのです。
本田は、1997年に二度目の脳梗塞で倒れて復帰した春にブエナヴィスタソーシャルクラブの映画を観て、大感動して「俺たちにもノコリンズがあるじゃないか!音大の芸術祭で「ノコリンズ」を復活させて演奏するんだ!」と言いだし、私達のサポートの面々が奔走して2000年に実現させました。
それがあまりに素晴らしかったので、良く01年に保谷のこもれびホールで再演させてもらい、
05年まで毎年行われていました。
バンドの名前はOBの出演が少なくなったので、別の名前にしてるのです。
そんな思い入れのある「Mack… …」です。
 

管理人さん、ぺぇさんへ

 投稿者:yoko  投稿日:2014年 5月29日(木)00時19分39秒
返信・引用
   ラストのMack the Knife、いい感じでしたよね。1986年頃だったと思いますが、僕はこういう曲が好きなので、ライブハイスで本田さんに「こんな曲やって」って頼んだら、「オレはそんなのやらねえ」って言いました。硬派だからできないっていう意味だったのかな。脳出血で倒れる前はこういう曲は弾いてくれなかったなあ。カーテンコールの時、本田さんがMack the Knifeをかわいらしく弾いていましたが、昔だったらありえなかったと思う。
 復帰後、僕好みのメロディアスな演奏をするようになったようですが、僕はすでに東京を離れ、地方の山奥で音楽とは無縁の生活を始めていました。本田さんがいい演奏をしていると気づいたときは時すでに遅し。一ヶ月後に控えた地方ライブを心待ちにしていたのに、本田さんの体調不良で延期。数ヵ月後、体調が良くなって再度ライブが企画されたので、今度こそはと思っていたら、この世を去ってしまいました。自分の親父が死んだ時よりもショックでした。本田さんは僕の青春そのもの。もう一度逢ってお礼を言いたかった。すごく心残りがあって、本田さんの復帰後の演奏にはとても関心があります。
 またこのような映像や音源がありましたらよろしくお願いします。
 

yoko様

 投稿者:ぺぇ  投稿日:2014年 5月28日(水)13時17分15秒
返信・引用
  後半のラストの演奏って、ビッグバンドではないですよね!
コンボの演奏は、乗りに乗って時間を全く無視されて、こちらはもうドキドキでした!
ビッグバンドの方は、指揮者がきっちりタイムキープするのですが…
本田さんのコンボはあのメンバーだと、長くなるのです~
森田修史はメンバーに入っていなかったのに、当日来ていたのを
「お前、楽器持ってきてるんだろ、吹けよ!」と言ったので、
衣装もなく普段着で出たのでした。

 

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